1955年頃

東京近郊の5~6チームに依るリトルリーグの活動が始動。

1959年

米国人の飛行士であるMr. Bill Hatchが日本で初めて正式に国際登録された日本のリーグを組織した。

1962年

米国ペンシルベニア州ウイリアムスポートのラマダ球場でのリトルリーグ世界大会に国立リーグが日本から初めて参加。

1964年頃

東京オリンピック大会の開催及び米国リトルリーグの誕生(1939年)25周年を機に日本国内のリトルリーグの活動を纏める機運が誕生。

1967年

国内全国規模で、第1回全日本リトルリーグ野球選手権大会(全日本選手権大会)を開催。この第1回大会で優勝した西東京リーグが米国で開催の世界大会で優勝、極東地域の代表として初めて世界大会を制す。 その後、1968年に和歌山リーグが世界大会で日本リーグとして2回目の優勝。1976年には調布リーグが3回目、1999年には枚方リーグが4回目の世界チャンピオンに。

2001年

米国での世界大会への出場枠が拡大、極東地域がアジア地域とパシフィク地域の2代表が出場。東京北砂リーグが初めてのアジア地域代表として世界大会に出場、日本リーグとして5回目の世界チャンピオンに。 その後、2003年には武蔵府中リーグが日本からの6回目の優勝。

2005年

同年5月19日、文科省の指導を受け、日本リトルリーグ野球協会と日本 リトルシニア野球協会が一緒に、財団法人全日本リトル野球協会となる。同じ協会の中、リトルリーグ委員会及びリトルシニア委員会として夫々の責任で運営管理に当たる。

2007年

米国・国際本部が日本のリトルリーグの活動内容及び組織力を評価して、アジア地域代表決定戦を経ず世界大会への直接出場枠を日本に与える。 結果、アジア・パシフィク地域の2つの出場枠は1つに。 東京北砂リーグが直接、世界大会に臨んだが準優勝で終わる。 その後、2010年に江戸川南リーグが日本からの7回目の世界チャンピオンに。

2012年

内閣府より4月1日付け「公益認定証」が発行。公益財団法人日本リトル リーグ野球協会が誕生、今日に至る。

2013年

米国での世界大会に日本代表として武蔵府中が出場し、前年の東京 北砂に続いて日本として2年連続9回目の世界チャンピオンとなった。 両リーグにとっても2度目の世界一。また、リトルリーグ野球の新しいカテゴリーとなったインターミディエット (50/70)部門を日本でも実施し、初代日本王者となった泉佐野がア ジア太平洋大会を制し、さらに世界大会でも優勝し第1回の世界チャ ンピオンとなった。

2015年

世界大会で前年3位に終わった東京北砂が連続出場し、再び世界一の 座に就いた。日本にとっては通算10回目、東京北砂はリーグとして3回目の優勝。
この快挙と同じ8月、日本のリトルリーグはMLB(メジャーリーグベースボール)と協働で「MLBカップ2016」の新設 を発表した。東北大震災の被災地、宮城県石巻市を中心に小学5年~ 4年生の全国大会を2016年8月に開催する、という画期的なイベントで、 次世代を担う子供たちへ夢と希望を与え、普及振興を目的とした。

2016年

全日本選手権大会が50回目の開催を迎え長野県上田市の県営上田野球場をメーン会場に行われた。 50年の記念大会で新たな“歴史 ”を刻んだのが東京連盟の調布リーグで 29年ぶり10回目の優勝で名門復活を果たした。
また、新設された「MLBカップ」では武蔵府中(東京連盟)が初代王者の座に就いた。

2017年

上田市での2年目の開催となった全日本選手権大会では東京北砂リーグ(東京連盟)が2年ぶり6回目の日本一となり、世界選手権 でもリーグとして4回目、日本にとって通算11回目の世界一のタイトルを獲得した。